共感とは?同情、同感との違いは?「わかってほしい」思いはどういうこと?

この記事は弊社の別サイトから、2015年7月12日の記事を移行してきました。

辛いことがあったり、上手くいかないことがあったりしたときに
誰かに聞いてほしかったり、「わかってほしい」と思うことがあります。

この「わかってほしい」という思いは詳しくみるとどういうことでしょうか?
「同情」してほしいのでしょうか?

自分の問題をわかってほしい
あわれんでほしい
可哀想に思ってほしい
存在を認めてほしい

・・・なのでしょうか?

また、話を聴いた人は「わかってあげたい」と思うかもしれません。

話し手、聞き手においてどのような思いがあるのでしょうか?
詳しくみていきましょう。

共感、理解、同情、同感、同調、同意

まず関連する言葉を辞書的な意味を含めて記載します。

  • 共感・・・自分は違う意見でも、相手の気持ちを推測・理解し、感情や情緒を共有していること
  • 理解・・・物事がわかること、人の気持ちや立場がよくわかること
  • 同情・・・他者の身の上になってその感情をともにすること。特に他人の不幸や苦悩を、自分のことのように思いやっていたわること。
  • 同感・・・他者と同じように感じること、または考えること。自分と同じ考え、意見、価値観の持った相手に対し同意すること
  • 同調・・・他者と同じ意見・態度になること。相手に調子をあわせること
  • 同意・・・他者の意見に賛成すること
  • 哀れむ・憐れむ・・・かわいそうに思うこと

辞書から引用しているものもあります。どれも似ていてピンとこないものもあるでしょう。
「○○する」と付けると、どれも聞き手目線の言葉です。

聞き手目線でみると

ここで大事なことは共感・理解以外は、相手の感情に巻き込まれている状態です。

共感・理解は、他者の感情や状況を共有しつつも、自分を保っています。
相手の感情に巻き込まれることはありません。

同意については、自分が主体的に考えて決めて同意していれば自分を保てます。

だからコミュニケーションにおいては同情・同感ではなく、共感・理解をすることが大切です。

共感と理解の違いは、共感はより相手に情緒的に寄り添い、理解は背景・状況を含めて相手の行動や思考に納得できる状態だといえます。

例えば悪いことをした犯罪者に共感はしづらいですが、「背景を知り違法なことをするに至った動機や行動を理解はできる」といえるでしょう。
「共感はできないが、理解はできる」といった状態です。

人情派の刑事ドラマでは、犯人がいたしかたなく犯罪行為に至った背景が明らかになると、視聴者は意外と共感の思いを感じるのではないでしょうか?

では、すべて共感・理解しないといけないのか?というと、すべては不可能です。
ましてや本当の意味で共感することは、専門家であるカウンセラーでも実は難しいことなのです。

雑談程度の話なら同情、同感することが多いでしょう。相手との関係性を考えながら同調することもあります。
「仲の良い友人と楽しむ」といった場合、同調といえます。特に女性同士の会話は、その傾向が多いです。

大事なことはその場の状況に合わせて使い分け、自分を保つことです。

話し手目線だと

誰かに話すときや相談する場面のように「自分が話し手」の場合は、どう気をつけたらよいでしょうか?

冒頭で書いた「わかってほしい」という思いは、もしかしたら「同情してほしい」「あわれんでほしい」と思っているかもしれません。

自分の悩みや苦労を他者にわかってもらうということは、相手に承認され心が落ち着くからです。

だから話し手からすると、共感も同情も自分の気持ちをわかってもらうので、癒されたと感じます。

しかし、聞き手(相談を受ける側)が相手の感情に巻き込まれる同情をすると、聞き手が自分の意見や感情を出したとき、話し手は「否定された」と感じるかもしれません。

だから前項でお話したように、聞き手は相手に巻き込まれない「共感・理解」が大切といえることを、この話し手目線からでもわかります。

自分では気づかずに「同情してほしい」と思って話すと、カウンセリング技術がない相手だと上から目線で話してくるかもしれません。

普通、職場などでの相談相手はカウンセラーではありませんので、「気持ちをわかってほしいのか、状況をわかってほしいのか」辛いなら辛いなりに自分はどうしてほしいのか伝え方を考えることが大事なのですね。

相談する人は一歩進んで、「相談することでどうなりたいか?」を考えてみると、伝え方に工夫が生まれます。

それが誤解をされないためのコミュニケーションスキルになります。